震災2年後のいま―宮古市浄土ヶ浜(その3)

 2013-03-31
「青の洞窟」ツアーは、数年前に事業が軌道に乗り始めた矢先、震災にあってしまいました。

浄土ヶ浜マリンハウスの応援看板
スタッフも大切な家族を亡くすなど、大変な悲しみの中で再開を目指しました。その励みになったこの看板。全国からやってきた人々が残してくれた、応援メッセージです。(2013年3月14日撮影)

ヘルメットに降り立つウミネコ
ツアー客のヘルメットにウミネコが舞い降りて、思わずビックリ、歓声があがります。船頭さんも笑います。笑顔が行き交う船上で、なにげない日々のありがたさを感じます。(2013年3月19日撮影)

浄土ヶ浜の剣山
大自然は、時に牙をむくことがあります。しかし、人間も自然の一部です。謙虚な心で自然を畏れ、敬し、慈み、愛することが必要なのです。船の上で、そのことを教わりました。(2013年3月14日撮影)

サッパ船に近づくウミネコの群れ
ウミネコも楽しげに舞っています。「くよくよしてないでさ~!やっぱり海はいいだろう?」と言うかのよう。でも、「エサのかっぱえびせんをおくれ!」というのが本音のようです。(2013年3月19日撮影)

宮古港の風景
宮古の港に行くと、活気あふれる漁師の作業が見られました。観光であれ、漁業であれ、海に生きる人々は、海を眺め、海と向き合い、海に出ることが何よりなのですね。(2013年3月14日撮影)
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震災2年後のいま―宮古市浄土ヶ浜(その2)

 2013-03-30
浄土ヶ浜には大きな観光遊覧船もありますが、最近注目を集めているのが青の洞窟ツアーです。

青の洞窟の看板
三陸は険しい地形が多く、古くからサッパ船と呼ばれる小型船で漁をしてきましたが、これを活用した小回りのきくツアーが大人気です。昨年、吉永小百合さんも参加しました。(2013年3月14日撮影)

複雑な海岸線を遊覧するサッパ船
小型船だと、複雑なリアス式海岸の遊覧もなんのその!前半は浄土ヶ浜を地上とは違った角度から眺め、後半は洞窟の中に入ってゆきます。1人1500円はお得です。(2013年3月14日撮影)

サッパ船の船頭さん
この日は運よく貸切でした。いよいよ、船頭さんの案内で洞窟に入ります。震災時、この船頭さんは洞窟内にいて肝を冷やしたことなど、震災時の様子を語ってくれました。(2013年3月14日撮影)

青の洞窟(グリーン・バージョン)
これが「青の洞窟」です。潮や光の具合によって、微妙に色が変わりますが、この日はやや緑に近い色でした。この洞窟は、伝説では青森県の八戸まで続いているそうです。(2013年3月14日撮影)

青の洞窟(ブルー・バージョン)
後日に撮影したブルー・バージョンです。本場イタリアの「青の洞窟」も(たぶん)顔負けの美しさ。透明度の高い冬から早春の午前中がきれいに見えるので、おすすめです。(2013年3月19日撮影)

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震災2年後のいま―宮古市浄土ヶ浜(その1)

 2013-03-29
岩手・三陸海岸のほぼ中心に位置する宮古市。浄土ヶ浜という著名な観光地があります。

震災前の浄土ヶ浜
白い岩礫を敷きつめた浜と、それを外洋から守る、まるでラクダのコブのような岩礁の連続。その岩肌に松が生い茂る盆景は、まさに日本人好み。これは震災前の風景です。(2010年2月8日撮影)

浄土ヶ浜の工事(1)
震災後、漂着ゴミが散乱しましたが、それをいち早く片づけて昨年から観光を再開しました。漁業と観光は三陸の二大復興要素です。現在は、重機を投入しての工事中でした。(2013年3月19日撮影)

浄土ヶ浜の工事(2)
海沿いの遊歩道も工事中です。環境省は三陸復興国立公園の構想のもと、公園を再編、整備し、復興を支援する予定。被災地沿岸をつなぐ長大なトレイルも計画中です。(2013年3月19日撮影)

浄土ヶ浜の団体観光客
団体ツアーも増えてきたようです。この日は仙台からのツアーバスが来ました。被災地の現状視察と観光をセットにした震災ツーリズムも、確かに復興の一要素です。(2013年3月14日撮影)

浄土ヶ浜の津波避難誘導看板
しかし、いつまた津波が来るともしれません。万一の際に避難できるよう、高台への避難経路を示す看板が立っていました。津波と向き合って生きる、三陸の厳しさです。(2013年3月14日撮影)


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震災2年後のいま―重茂半島姉吉地区

 2013-03-28
山田湾の北に重茂(おもえ)半島の姉吉(あねよし)地区があり、津波記念碑で有名になりました。

姉吉の旧・津波記念碑
昭和8年の大津波の後に建った石碑で、「ここより下に家を建てるな。」という戒めが彫られています。この先人の教えを守った地区住民は、自宅ごと、全員助かりました。(2013年3月19日撮影)

姉吉の新・津波記念碑
その到達点に、昨年新たな石碑が建ちました。調査によれば、姉吉の津波溯上高は40.4メートル。従来の38.2メートルの更新であり、至上最高記録となりました。(2013年3月19日撮影)

姉吉の新設ガードレール
そのすぐ近くのガードレールも破壊され、一時はアメのようにクシャクシャになりました。現在は再建され、新旧ガードレールの継ぎ目が、ちょうど記念碑の下にあります。(2013年3月19日撮影)

姉吉の新設番屋
姉吉キャンプ場も壊滅的被害を受けましたが、そのすぐそばにあった番屋が新しく建造されていました。はるかに海の見えるこの場所の背後まで、津波が来襲したのです。(2013年3月19日撮影)

姉吉の自然歩道看板
ここ重茂半島は本州最東端にあたり、灯台まで遊歩道を歩いてゆくハイカーの拠点なのです。その標識も壊れましたが、さっそく新しく作られ、観光面の復興を感じました。(2013年3月19日撮影)


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震災2年後のいま―山田町大沢地区

 2013-03-27
山田湾の別名が「海の十和田湖」。半島によって外洋から守られ、ふだんは波静かでしたが・・・。

山田湾空撮
津波は例外なく襲ってきました。画面右奥、船越半島の付け根に大浦。時計まわりに、浦の浜、織笠、山田町中心部、大沢と、湾を取り囲むように多くの集落がありました。(2006年4月22日撮影)

山田町大沢 仮設番屋
大沢地区のがらんとした場所に、知人漁師の仮設番屋が。中をのぞかせてもらうと、ボーズのスピーカーでクラシックを聴きながのカキむき作業中。これぞ漁師の心意気!(2013年3月19日撮影)

山田湾を往来する漁船
津波で全て流された大沢地区のカキイカダも、復帰しました。漁船の行き交うエンジン音にウミネコの鳴き声が混じります。無音だった震災時。音の回復に、復興を感じます。(2013年3月19日撮影)

山田町大沢漁港に入港する漁船
漁港にたたずめば、作業を終えた漁船が帰ってきました。1年でもっともカキの美味しいこの時期、2年目にしてやっと迎えた収穫の手ごたえ。山田湾に海の幸あれ!(2013年3月19日撮影)

山田町大沢漁港にて
にぎやかな話し声が聞こえてきました。スーパーマーケットは主婦の井戸端会議場。浜は漁師たちの談笑の場。人の集まる場所が生まれることも、ひとつの復興ですね。(2013年3月19日撮影)
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震災2年後のいま―山田町船越半島

 2013-03-26
大槌町を北上して山田町に入ります。船越半島の大浦、小谷鳥、浦の浜の3地区の現況報告です。

大浦漁港復旧工事
山田湾に面した内湾に大浦集落があります。比較的小規模の漁港ですが、大規模な港湾工事が進められていました。波消し用のテトラを現場でたくさん製造していました。(2013年3月19日撮影)

小谷鳥のサッパ船
船越半島の外湾に小谷鳥(こやどり)集落がありましたが、低地は壊滅し、高台にあった数軒の民家はかろうじて健在。漁港を失ったので、漁船が道路に並べられています。(2013年3月19日撮影)

浦の浜のガレキ処理場
半島の付け根、浦の浜地区は、湾の内外2方向から津波に翻弄され、甚大な被害が出ました。再開館予定の鯨と海の科学館を背後に、ガレキ処理が行われています。(2013年3月19日撮影)

浦の浜の復興かき小屋
しかし、その近くで復旧したかき小屋が観光客で大賑わい。山田湾で再び採れはじめたカキを蒸し焼きにして豪快に味わう企画。連日満員御礼で、活気があります。(2013年3月19日撮影)

かき小屋の風景
元気な浜のかあちゃんが手際よくカキを剥いてくれ、津波の体験談をしてくれることも。ボヤボヤ食べていると、眼前にカキの山が!さしずめ、わんこそばのカキ版ですね。(2013年3月24日撮影)


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震災2年後のいま―大槌町

 2013-03-25
釜石市を北上すると、吉里吉里(きりきり)王国とひょっこりひょうたん島で有名な大槌町です。

大槌町内の解体希望意志表示
大槌町中心部は壊滅的な被害を受け、現在も本格的復興へ向けた目立った動きはありません。解体を希望しているのに、いまだそれがかなわない建物もあります。(2013年3月14日撮影)

吉里吉里の町の様子
北上すると、吉里吉里地区。井上ひさしの小説『吉里吉里人』は、国に失望した東北地方の一集落が独立宣言する話。この光景と現状が続けば、さもありなんです。(2013年3月14日撮影)

吉里吉里の海岸
津波は人工物を全て壊しましたが、自然はそのままの風景であり続けたし、壊れても回復が速い!ボランティアの清掃作業も奏功し、美しい吉里吉里ビーチが戻ってきました。(2013年3月14日撮影)

波板海岸
さらに北上するとサーフ天国の浪板(なみいた)海岸です。ここの松も、高田松原と同様に津波を被ったのに、なぜか元気です。付近では被災した国道45号の復旧工事中。(2013年3月14日撮影)

「ホテルはまぎく」の工事現場
これが旧「浪板観光ホテル」です。下層階まで津波を被りましたが、急ピッチで復旧工事を行なっており、完成時には「ホテルはまぎく」と改名して新しいスタートを切ります。(2013年3月14日撮影)






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震災2年後のいま―釜石市鵜住居地区

 2013-03-24
箱崎半島を西へ戻ると、震災で多くの犠牲者の出た鵜住居(うのすまい)地区があります。

三陸空撮(鵜住居、大槌上空)
大槌湾の空撮です。画面右方、長く突き出た箱崎半島の付け根、その川沿いが鵜住居。山を隔てて左方の二つの川に挟まれた部分が大槌町。ともに被害甚大な地域です。(2006年4月22日撮影)

鵜住居の津波跡
寺社の建造物とみられる残骸が横たわっていました。ガレキはほぼ片付いたものの、仮設の営業小屋以外、何もありません。青空が悲しいまでに美しい、早春の一日でした。(2013年3月14日撮影)

鵜住居の災害廃棄物処理施設
遠くで重機の音がします。その方向へ向かってみると、大きなフェンスで仕切られた空間がありました。そこでは、いまだに大量のガレキが処理されていました。(2013年3月14日撮影)

鵜住居の災害廃棄物処理現場
ガレキとつい言ってしまいますが、近くで見てみると、衣装ケースやトースター、花瓶など、どれも生活感のあるもの。津波襲来前までは、立派な家財道具だったのです。(2013年3月14日撮影)

震災前の鵜住居川河口
そして、自然風景も。津波の前までは、鵜住居川河口部は、ヨシ原の美しい汽水域でした。地名のとおり、さまざまな水鳥が遊ぶ楽園でしたが、もうこの風景はありません。(2009年4月5日撮影)
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ポストカード写真展ご案内

 2013-03-23
イベントのご案内です。明日3月24日(日)まで、盛岡市内でポストカード写真展を開催中。岩手の風景写真愛好家が製作したポストカードを100点あまり、そのままのサイズで展示したものです。

ポストカード写真展案内(表)
ポストカード写真展(裏)

私は、大震災前の岩手・三陸の風景6点を出品。なお、展示期間が少し延長される可能性があるそうなので、3月25日(月)以降の展示予定は、上記の「もりおか歴史文化館」までお尋ね下さいませ。

もりおか歴史文化館の外観
これが会場の外観です。岩手公園の東隣に近年オープンした総合観光文化施設です。周辺には盛岡城跡公園、櫻山神社、岩手銀行中ノ橋支店などの観光名所もあります。(2013年3月22日撮影)

もりおか歴史文化館の写真展風景
写真展会場です。岩手山や小岩井農場など、有名地の写真はもちろん、思わず「えっ!これ、どこから撮ったの?」と聞きたくなるような穴場の写真も。写真家必見ですぞ!(2013年3月22日撮影)

もりおか歴史文化館の喫茶部
すぐ横には和風のお茶処もあって、和風スイーツや喫茶が楽しめます。写真展だけでなく、周辺の観光も兼ねて、少し春めいてきた盛岡をどうぞ心ゆくまで散策してください。(2013年3月22日撮影)

もりおか歴史文化館の馬っこの展示
まもなく市制施行となる岩手県滝沢村。そこで毎年6月に行われる有名なお祭りが「チャグチャグ馬こ」。それを再現した馬っこの模型もあって、一緒に記念写真も撮れます。(2013年3月22日撮影)

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震災2年後のいま―釜石市箱崎(白浜)地区

 2013-03-22
根浜の宝来館から箱崎半島を東に向かいます。立派なトンネルを抜けると、箱崎地区があります。
箱崎地区のボランティア活動
春休みを利用して、大学生が側溝の泥のかき出し作業をしていました。若い世代は今回の震災をどう受けとめ、2年経っても復興の進まぬこの国をどう感じているのでしょう。(2013年3月14日撮影)

箱崎神社
箱崎神社周辺では、津波でなぎ倒された杉の木の残骸が、地元の人々の手によって、少しずつ切って整理されています。信仰は、必要不可欠な生活の基盤なのです。(2013年3月14日撮影)

中国で造られた漁船
箱崎漁港には、中国で建造された漁船がありました。国家レベルでは日本と中国は緊張した対立が続いていますが、民間レベルでは、助け合いの精神は健在なはずです。(2013年3月14日撮影)

箱崎白浜の漁港
さらに東進すると、箱崎白浜地区。この集落も震災時に孤立しました。現在は地盤沈下した旧道路(手前)の背後に必要分のかさあげを行い(白い部分)仮復旧の状態。(2013年3月14日撮影)

仮設の番屋
白いテントは仮設番屋で、漁師が作業をする場所です。よく見ると電気も通っているようで、いろいろなノウハウの蓄積がこうした復興を支えている様子がわかりました。(2013年3月14日撮影)



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震災2年後のいま―釜石市根浜海岸

 2013-03-21
釜石市の北部、箱崎半島のつけ根に根浜海岸があり、震災前は海水浴場で有名でした。

根浜の宝来館
再開した旅館です。震災時は道路崩壊により集落が孤立し、女将が食糧を調達に遠くまで歩いて行くなど困難がありましたが、こうして再開、宿泊客で予約がいっぱいです。(2013年3月14日撮影)

根浜の津波記念碑
旅館の前には美しい松林と海岸があります。その一角に立派な津波記念碑が建ちました。震災から2年経って、三陸沿岸には津波記念碑が目立つようになってきました。(2013年3月14日撮影)

根浜の津波記念碑(拡大)
碑文にある「てんでんこ」は、人を助ける前にまず自分が逃げよ、という意味。困った人を決して置き去りにできぬ岩手人の優しさゆえ、逆にこの戒めが生まれたのです。(2013年3月14日撮影)

ボランティアによる根浜の清掃作業
海岸で再び泳げるようにと、ボランティアの方々が浜の清掃を行なっていて、前回訪れた時に比べて格段に美しくなっていました。どれぐらいきれいになったかというと・・・。(2013年3月14日撮影)

根浜海岸
すぐに泳ぎたい気分になるこの美しさ。震災後は砂がかなり流されたものの、驚くほど砂の量が回復しています。今回の取材中、はじめてほほえむむことができました。(2013年3月14日撮影)

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震災2年後のいま―釜石市内(その2)

 2013-03-20
釜石市の南部にある唐丹(とうに)地区に、震災の記憶を風化させまいと石碑が建っています。

唐丹の平成大津波記念碑
中央の本碑の左右には被災した小中学生のメッセージが。「(津波から)100回逃げて、100回来なくても、必ず101回目も逃げて!」など重い言葉が紹介されています。(2012年8月29日撮影)

唐丹の3世代津波記念碑
碑の横に過去の津波記念碑も並んでいました。右は明治大津波の碑、最も大きい左ものは昭和大津波の碑、そして左奥の黒色は今回の平成の碑と、3世代の碑です。(2012年8月29日撮影)

釜石にできた魚民
ただ、いくら碑が警告しても、やはり毎日の生活は重要ですから、被災地域に建物は必要です。釜石市内では、営業店舗の建造は増えました。大手の「魚民」も出来ていました。(2013年3月5日撮影)

釜石のバスうどん外観
やはり「食」は重要です。このような建物を造らない営業形態もあります。名づけて、バスうどん!使わなくなった観光バスを震災跡地に置いて、内部を改造しての営業です。(2013年3月5日撮影)

釜石のバスうどん
昔から釜石にバスラーメンというのはありましたが・・・。バスに「乗車」してカレーうどんをすすりつつ、窓から釜石市内を眺め、これからの復興への道筋を考えたのでした。(2013年3月5日撮影)
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震災2年後のいま―釜石市内(その1)

 2013-03-19
大船渡市から北上すると、製鉄とラグビーで栄えた釜石市。津波襲来前の釜石市内の空撮です。

釜石上空空撮
湾口に左右から突き出した巨大な防波堤があります。釜石を津波から守るはずでしたが、今回の津波で壊滅しました。しかし、驚くことに、いち早く復旧作業が始まりました。(2006年4月22日撮影)

ありし日の釜石湾口防波堤
釜石湾は水深が深く、堤防は海底63メートルからビルのように立ち上がり、海面に少し顔をのぞかせている状態。頑丈なはずの堤防も、津波に耐えられなかったのです。(2006年2月21日撮影)

釜石市のタンカー座礁現場
何せ、このような巨大タンカーが津波のエネルギーで翻弄され、釜石港に打ち上げられるのですから。堤防を突き破って止まったこの船は現在は撤去されていますが・・・。(2011年8月21日撮影)

釜石港の復旧作業
現在、その場所は、まだタンカーの舳先が食い込んだ堤防を残したまま、高潮を防ぐための土嚢が積んであり、仮復旧の状態。その一方、港湾施設の建設が始まっています。(2013年3月5日撮影)

かさあげされた釜石の道路
堤防と同じく、道路も仮復旧です。つまり、町全体の都市計画が進まぬまま、必要な部分のみかさあげが行われています。住宅地はこの通り、被災家屋が解体されたままです。(2013年3月5日撮影)


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震災2年後のいま―三陸鉄道南リアス線

 2013-03-18
大船渡市の北部、旧三陸町を走る三陸鉄道の南リアス線は、復旧作業が大詰めです。

三陸鉄道の復旧作業
2年間使われなかった錆びたレールが、再び光る日を待ち望んでいます。黄信号が青信号に変わる日は4月3日。地元の高校生の春の始業に間に合わせる配慮だそうです。(2013年3月10日撮影)

三陸鉄道の新設高架
鉄路を支える高架橋も修繕完了。真新しいコンクリートが打たれた法面は傾斜が緩く、津波のエネルギーをいかにもやわらかく受け流してくれるような印象を与えます。(2013年3月10日撮影)

恋し浜駅の駅名標
名物駅の「恋し浜」です。もともと「小石浜」だった駅名を、ロマンチックな駅名にと表記変更された珍しいケース。かつての国鉄時代「愛国」や「幸福」のような人気駅です。(2013年3月10日撮影)

恋し浜駅の鐘
駅ホームには、天使の姿をモチーフにした銅板とともに「しあわせの鐘」が。恋の成就を願って若いカップルが訪れます。海をのぞむこの駅で、あなたも鳴らしてみませんか?(2013年3月10日撮影)

三陸鉄道吉浜駅
今回、部分的に開業する北の出発駅、吉浜(よしはま)駅。中華食材の鮑の産地として有名(その場合、キッピンと読む)で、縁起の良い漢字ゆえ、中国でも知られています。(2013年3月10日撮影)
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震災2年後のいま―大船渡市綾里地区

 2013-03-17
大船渡市北部の綾里(りょうり)地区は、過去の津波で国内最高波高を記録した場所です。

綾里駅前の警告看板
その高さは、1896年の明治三陸大津波の時で38.2メートル。10階建てビルに相当します。三陸鉄道の綾里駅前には、過去の津波災害を示す警告看板がありました。(2013年3月10日撮影)

三鉄綾里駅
三陸鉄道南リアス線も被害を受けましたが、復旧作業がほぼ終わって試運転が始まりました。4月3日の運転再開を前に、線路に新しく敷かれたバラストの石が白色です。(2013年3月10日撮影)

綾里の漁船
いっぽう、漁港にはサッパ船(磯漁用の小舟)がところ狭しと並べられていて、その近くには仮設の作業小屋も建って、ゆっくりではありますが、浜に元気が戻りつつあります。(2013年3月10日撮影)

舟のきずな
サッパ船が1か所の係留点に集められ、まるで漁師たちの結束を象徴するかのように見えました。奥の方では港湾施設の建設が進んでいます。三陸に遅い春の兆しです。(2013年3月10日撮影)

市杵島神社
人事を尽くせば、あとは神様に祈るしかありません。漁港近くの神社の鳥居は津波で崩壊しましたが、その残骸をかたわらに、真っ白な新しい鳥居が奉納されていました。(2013年3月10日撮影)



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震災2年後のいま―大船渡市中心部(その2)

 2013-03-16
被災したJR大船渡線が、鉄道ではなく、BRTという専用バス路線として3月2日に復帰しました。

JR線下船渡付近の踏切
これはもともとのJR大船渡線ですが、津波で被災し、レールが撤去されています。ただ、踏切部分だけは、車の往来のため残されていますが、遮断機もなく寂しいものです。(2013年3月10日撮影)

BRT踏切
これが新しいBRTのバス専用レーンです。レーンに一般車が間違って入らないよう、遮断機がついています。専用バスが近づくと、遮断機が自動的に上がります。(2013年3月10日撮影)

BRT大船渡駅
BRT大船渡駅の「プラットホーム」です。このアスファルトが、鉄道ならバラストとレールに相当します。このあと利用者が数人現れ、バスを待っていました。(2013年3月10日撮影)

BRT大船渡駅時刻表
バスではありますが、ちゃんと鉄道なみの時刻表があります。朝夕の通勤・通学時以外は1時間に1本の割合です。どんなバスかな、と思いつつ撮影取材をしていると・・・。(2013年3月10日撮影)

BRTバス
タイミングよく、バスが到着。被災地のゆるキャラをあしらったユニークなバスです。この駅で出会った方にお話を聞くと、やはりバスはありがたい存在とのことでした。(2013年3月10日撮影)


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震災2年後のいま―大船渡市中心部(その1)

 2013-03-15
陸前高田市から北上すると、大船渡市です。市内への入り口、丸森から大船渡湾内の様子です。

大船渡湾の漁業施設
大船渡湾はカキその他の養殖で有名ですが、震災で養殖イカダ等の漁業施設が流されました。しかし、見た限りではかなりの数のブイが浮かんで、新たな動きが見られます。(2013年3月10日撮影)

大船渡港の漁船
港内に中小の漁船が係留されています。港内の建物も本格的な工事が始まっている様子。まずは漁業から復興が加速してゆくといいですね。我々ももっと魚を食べましょう!(2013年3月10日撮影)

大船渡港の堤防の高さ
しかし、もっぱらの課題は地盤沈下による高潮の心配です。新しい防波堤の高さ7.5mを示す標識が立っていましたが、見た感じでは完成まではまだまだ先のようです。(2013年3月10日撮影)

大船渡市内の道路
高潮の被害を防ぐために、市内の道路にはこのように土嚢が積んであります。三陸沿岸は、軒なみ地盤が70~80センチほど沈下しましたから、かさあげが必要なのです。(2013年3月10日撮影)

大船渡港の地盤沈下
したがって、風波が強い日は、防波堤だったところに、このように波が侵入します。このコンクリートを撤去するのも大変ですし、新たにこの上にかさあげを行うのも困難です。(2013年3月10日撮影)

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震災2年後のいま―陸前高田(その3)

 2013-03-14
旧市街地の解体処理はほぼ終わったものの、残念ながら、新しい動きはないように見えます。

復興の進まぬ陸前高田市内
震災から2年たっても、地盤のかさあげ、高台移転など、復興計画が進んでいるようには見えません。少し内陸部に仮設店舗は出来ましたが、人口流失が懸念されます。(2013年3月10日撮影)

第一中学校からの陸前高田市内
第一中学校からの町の様子です。かつて市内をよく車で走りましたが、当時の様子が思い出せません。今はなき店舗や目印を、カーナビの音声がむなしく伝えるのです。(2013年3月10日撮影)

ホテル「キャピタル1000」解体作業
海岸沿いにあったホテル「キャピタル1000」は長らくそのままでしたが、解体作業が始まりました。少し離れた高台に移転開業するようで、マスコミが取材していました。(2013年3月13日撮影)

新設の農業施設(?)
この日、ただひとつ、新しい建造物を見かけました。海岸から5キロほど離れた竹駒町で、津波で浸水した土地に建築中の施設の骨組みです。農業施設でしょうか。(2013年3月10日撮影)

追悼式の案内看板
この日は追悼式が行われるということで、喪服姿の方々が献花する姿を多く見かけました。私もただ合掌するばかりです。今後の復興をどう進めればいいのでしょうか。(2013年3月10日撮影)
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震災2年後のいま―陸前高田(その2)

 2013-03-13
それにしても、他の沿岸各地に比して、陸前高田の浸水被害は、桁はずれに甚大です。

陸前高田の被災ビル(拡大)
被災したビルには、こんな看板が!この町で暮らしたいけれど、それはもう無理なのだろうか・・・。気概や希望ではなく、追憶と諦観の背後に悔しさがにじみ出ています。(2013年3月10日撮影)

陸前高田の被災ビル(全容)
そのビルとは・・・。市内に4階建て以上のビルが少ないなか、たとえこのビルの屋上まで逃げたとしても助からなかったのです。なんと非情な津波でしょうか。(2013年3月10日撮影)

陸前高田空撮(全容)
陸前高田の位置する広田湾は、他の湾と異なり、幅が広く奥行きがあり、津波のもたらす海水総量が莫大です。加えて、湾口が震源域の南東に向いた地形が影響しました。(2006年4月22日撮影)

陸前高田空撮(拡大)
画面下部の気仙川河口から海岸上方へ広がる緑のベルトが、ありし日の高田松原です。川の上流、鮮やかな緑色の田園地帯をはるかに超える地点まで津波は到達しました。(2006年4月22日撮影)

流失したJR大船渡線橋梁
津波到達末端が、気仙川と矢作川との合流地点です。さしかかるJR大船渡線の橋梁も流失。皮肉にも川が流路となって、津波は河口から5キロ上流まで襲来したのです。(2013年3月10日撮影)
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震災2年後のいま―陸前高田(その1)

 2013-03-12
今日からしばらく岩手県沿岸の被災地の現況をレポートします。まずは最南の陸前高田の状況です。

奇跡の一本松(1)
津波で唯一残った高田松原の一本松。昨年9月に一時伐採ののち、足場を組んで本格的な復原作業が進められていましたが、最終段階で工期延長となってしまいました。(2013年3月10日撮影)

奇跡の一本松(4)
その理由とは、精密に元通り復原しようとしていたところが、枝葉の付き方が実際と違うという指摘があったためです。遠目にはじつに精緻な技巧のように見えましたが・・・。(2013年3月10日撮影)

奇跡の一本松(2)
その「奇跡の一本松」へは、国道45号線沿いの駐車場に車を停めて歩いて行かねばなりません。この日は、首都圏や関西圏など県外ナンバーの車も多く見かけました。(2013年3月10日撮影)

奇跡の一本松(3)
一本松のある場所へは、国道を横断する必要があります。道路の両側に交通整理員もいて、頻繁に大型車両が往来するなか、歩行者の安全確保がなされています。(2013年3月10日撮影)

奇跡の一本松(5)
一本松の復原が、復興のシンボルとして歓迎されるいっぽう、都市計画や復興が依然進まない中、このようなモニュメントに巨費を投じることを疑問視する声もあります。(2013年3月10日撮影)

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花は咲く

 2013-03-11
東日本大震災から2年が経ちました。人々の心にも、どうか満開の花が咲きますように!

釜石市唐丹の桜並木
震災前の風景です。岩手県釜石市唐丹(とうに)地区の桜並木は、昭和8年の三陸大津波のあと、復興を願って植樹されました。平成の大津波では、無事、生き残りました。(2010年5月5日撮影)
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おぼろな太陽

 2013-03-08
雲の切れ目から一瞬だけ、太陽が顔をのぞかせたのち春の雨に。花巻市東和町の昇陽です。

春おぼろの昇陽
雨をよぶ東風に乗って猿ヶ石川の瀬音も驚くほど高く、まるで無音の冬から春の喜びをうたう交響詩のようです。頭上をハクチョウが飛んでゆきました。北帰行の季節です。(2013年3月8日撮影)
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春の光と風

 2013-03-06
小岩井農場の一本桜にも、春の空気感がただよい始めました。日もかなり長くなっています。

小岩井の一本桜
岩手山の山頂付近は雪煙が吹き上がっているようですが、山麓で雪の降らない日が続くと、残雪はしまって「堅雪かんこ」の世界。でも、開花まであと2か月も待つのです。(2013年2月28日撮影)


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冬の遠野

 2013-03-05
民話の里として有名な岩手県遠野市。東日本大震災の復興支援拠点としても重要な地です。

六角牛山と釜石線
3月に入って少し春めいた日。遠野三山のひとつ、六角牛(ろっこうし)山(1294m)が残雪でまばゆいばかりに輝きます。そこへ、釜石線の列車が颯爽と通り抜けました。(2013年3月4日撮影)
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冬に咲く華

 2013-03-04
厳しい冬にも華が咲くことはあります。とはいえ、本物の花よりも、はかなく消えてしまいます。

雪の華
花巻市東和町を流れる猿ヶ石川。その水蒸気が川岸の木々の枝葉に付着して凍り、つかのま満開となる冬の華。朝日が逆光で浮き立たせるも、すぐに落花してしまいます。(2013年2月26日撮影)
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思い出の戸隠(その2)

 2013-03-02
瑪瑙山頂からは、北信五岳、すなわち戸隠、妙高、黒姫、斑尾、飯縄の山々が見渡せますが・・・。

戸隠(4)
さらに北に、たおやかな山容を見せる火打山(2462m)は圧巻!頸城三山の盟主ともいえる名峰です。純白の稜線を眺めるには、戸隠は最高のロケーションなのです。(2013年2月22日撮影)

戸隠(6)
四周の風景を十二分に堪能したら、あとはいよいよ滑走です。ゲレンデ脇のパウダーもパフパフで、同行した友人のK君もこんなスプレーをあげて大満足の様子です。(2013年2月22日撮影)

戸隠(5)
雪煙が細かい粒子となって、いつまでもたなびくような軽い雪質。アフターには、名物の手打ちそば、温泉、しゃれた喫茶店、竹細工民芸店めぐりなどが戸隠の魅力です。(2013年2月22日撮影)
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思い出の戸隠(その1)

 2013-03-01
20年前、生まれて初めてスキーをはいた信州戸隠を訪問。曽遊の地で懐古の情がわきました。

戸隠(1)
標高1900メートル台、屏風を立ててならべたような戸隠連峰と西岳の峰々。戸隠スキー場の最上部、瑪瑙(めのう)山頂に立てば、そこからの絶景は息をのむばかりです。(2013年2月22日撮影)

戸隠(2)
夕方の斜光にほんのり輝く岳樺林の背後には、絶壁が迫力をもって迫ります。古くから修験道のメッカであったこともうなずけます。夏場の登山でも遭難が多発します。(2013年2月22日撮影)

戸隠(3)
その戸隠連峰から派生する尾根上に、「俺はほかの連嶺とは一味ちがうぞ!」といわんばかりに屹立する鋭鋒が高妻山。岩手山よりもはるかに高い2353メートルです。(2013年2月22日撮影)

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