花と緑の九州探訪

 2013-04-29
花と緑をもとめて、九州ぶらり旅です。まずは、大分県の湯布院近郊で見ごろの山桜に会いました。

猪ノ瀬戸の山桜
都会でひしめくように競い咲くソメイヨシノもいいですが、冬枯れのままの雑木の中で、薄紅色に浮かびあがる山桜こそ、風流の極み。そこへ、新緑が「友情出演」です。(2013年4月13日撮影)

日向岳と桜
さらに進むと、由布岳の前山にあたる日向岳(1085m)に、山桜がたくさん咲いていました。この日はポカポカ陽気で、抜けるような青空を背に気持ちよい絵となりました。(2013年4月13日撮影)

筑紫平野の麦畠
翌日は、福岡県の筑紫平野へ移動。どこまでも平野が広がる中、麦畠の緑が鮮やかでした。かなたに脊振(せふり)山地のシルエットがなんとか見えるくらいの広さです。(2013年4月14日撮影)

海の中道海浜公園の花畑
最終日は博多から志賀島(しかのしま)へ。「漢委奴国王」の金印が出土したことで有名な場所です。その途中、海の中道海浜公園でチューリップのお花畑に出会いました。(2013年4月15日撮影)

海の中道海浜公園のネモフィラ
海の中道は博多湾から玄界灘に突き出した細長い半島です。海浜公園の名物は、小さく青い花を咲かせるネモフィラ。その色と空の青さが、地平線で溶けあっています。(2013年4月15日撮影)
スポンサーサイト
カテゴリ :九州・沖縄の旅 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

季節はずれの雪(その3)

 2013-04-27
雪はやむどころか、ますます強く降ってきました。湿雪のため、体がすぐにぬれてしまいます。

川井村江繋のネコヤナギと雪
ネコヤナギに雪とは見た目に風流ですが、撮影はそんなに悠長にはまいりません。レインウェアをしっかり着こんでの撮影です。手がかじかんで、すぐに車に戻りたくなります。(2013年4月21日撮影)

臼木山のゲンカイツツジと雪
それでも、雪と花という組み合わせはめったにないので、あちこち撮り歩くなか、とうとう宮古市の浄土ヶ浜までやってきました。ツツジの咲くそばに、雪の小径ができました。(2013年4月21日撮影)

宮古市腹帯の桜と雪
宮古市郊外の国道106号線沿いで、雪降りしきるなか、桜が咲いていました。というか、桜が咲いていたところに、雪がいたずらをしたのです。名づけて、「雪中桜花乃図」。(2013年4月21日撮影)
カテゴリ :岩手の風景 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

季節はずれの雪(その2)

 2013-04-26
森も、時ならぬ雪を迎えて戸惑っているようです。せっかく芽吹く準備をしていたというのに・・・。

遠野市恩徳の雪景
遠野の奥山は、水墨画の世界に逆戻り。ただ、写真ではわかりづらいのですが、冬の純白の森とは違い、芽吹きの色があいまって、雪の白さにほんのり赤みが乗っています。(2013年4月21日撮影)

川井村新田の雪景
遠野市から立丸峠を越えて、旧川井村(現宮古市)新田の牧野に来ると、時ならぬクリスマスツリーが出現。この場所にほんとうの春が訪れるのは、はたしていつでしょうか。(2013年4月21日撮影)

川井村小国の雪景
さらに車を走らせ、小国地区まで標高を下げると雪の量は減ります。しかし、せっかく伸び始めた牧草地の鮮やかな緑草が、しょぼしょぼの雪に取り囲まれてしまいました。(2013年4月21日撮影)
カテゴリ :岩手の風景 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

季節はずれの雪(その1)

 2013-04-25
先週末、東北地方は広範囲で季節外れの雪となりました。道も森も花も、さぞ驚いたことでしょう。

雪の立丸峠
遠野市と旧川井村(現宮古市)を結ぶ立丸峠の道路では、10センチ近いシャーベット雪が積もりました。岩手では、4月末まではスタッドレス・タイヤを交換してはなりません。(2013年4月21日撮影)

笛吹峠の気温表示
釜石市と遠野市を結ぶ笛吹峠頂上付近では、なんと気温が氷点下2度!この場所は、つい最近すっかり雪が消えてしまっていたのですが、ご覧のとおり真冬に逆戻りです。(2013年4月21日撮影)

橋野高炉前の除雪車
除雪車も急きょ出動です。しかし、作業後にも雪が積もり続けたためか、道路上にはシャーベット状の雪が居座り、これが大変滑りやすく、肝を冷やしながらの運転でした。(2013年4月21日撮影)
カテゴリ :岩手の風景 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

南部どりごっちゃりめし

 2013-04-23
本日、全国のローソンで発売開始となった岩手おにぎりが、「南部(なんぶ)どりごっちゃりめし」です。

ローソンの岩手おにぎり
ふだんコンビニに縁がないのですが、岩手ブランドが全国に並ぶと聞いては買うしかありません!鶏肉のうまさ、柔らかさは抜群!少し高価ですが、さすが岩手と思いました。(2013年4月23日撮影)
カテゴリ :岩手のグルメ トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

春の低気圧

 2013-04-21
春の低気圧が三陸沖を通過すると、波の高い日が続きます。秋の台風よりも恐ろしいのです。

怒涛の茂師海岸
岩手県三陸北部の茂師(もし)海岸です。モシリュウという恐竜の化石が発掘されたことで有名な地名です。旧国道沿いの展望台に上がると、迫力ある絶景が広がっています。(2013年4月4日撮影)
カテゴリ :岩手の風景 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

雪しろ増す小本川

 2013-04-19
早春の岩手では、山々の雪が解けて水量が増します。この雪解け水を、雪しろと呼んでいます。

早春の小本川
北上山系の水を集め、小本(おもと)川が水量を増しています。瀬音が高く、渦も巻いています。この栄養豊富な雪しろが太平洋にそそぎ、カキやホタテの成長を促すのです。(2013年4月4日撮影)
カテゴリ :岩手の風景 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

紀伊山地の山なみ

 2013-04-17
残雪の山のほかに、春のおぼろな空気の中で引き立ってくるのが、どこまでも続く山なみです。

紀伊山地の山なみ
仙台ー伊丹間の飛行機が降下を開始するころ、奈良上空からは、紀伊山地のどこまでも続く山なみを見ることができます。まさに、山岳重畳という言葉がぴったりです。(2013年4月9日撮影)
カテゴリ :飛行機と航空写真 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

残雪の飯豊連峰

 2013-04-16
小松ー仙台便の飛行機から、残雪の豊富な飯豊(いいで)連峰の神々しい姿が見えました。

飯豊連峰空撮
冬はどこも白く、高山と平地の境界があいまいです。夏はすべての山々が濃い緑でおおわれます。平地で雪が消え、高山のみ白く浮き立つ春先が、空撮に絶好の時期です。(2013年4月1日撮影)

カテゴリ :飛行機と航空写真 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

福寿草の花

 2013-04-13
岩手に春の暖かな雨が降りました。その雨がやんで、福寿草の花がそっと開きはじめました。

雨上がりの福寿草
白い雪の下から茶色い土が出て、目につくものは木々の枯葉やペシャンコになった冬野菜の葉など、わびしい色の風景。たよりになるのは、黄色い福寿草の花ばかり・・・。(2013年4月3日撮影)

カテゴリ :岩手の風景 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

震災2年後のいま―洋野町

 2013-04-11
今日が沿岸レポートの最終回です。岩手県最北の町、洋野町(ひろのちょう)までやってきました。

種市漁港の津波誘導標識
北に行くほど震源域から離れるため、被害も小さいのですが、だからといって大丈夫、ということにはなりません。ここ洋野町も、相当な高さまで津波を想定しているのです。(2013年3月25日撮影)

宿戸の密漁監視小屋
洋野町の各漁港でも、多くの漁業施設が被災しました。しかし、比較的早い段階で、投光器付きの密漁監視小屋が各地に建てられました。北三陸の特徴的構造物です。(2013年3月25日撮影)

密漁を警戒する看板
昔から、北三陸は密漁との戦いの連続でした。撮影や遊泳などで自由に出入りできる浜はほとんどなく、有刺鉄線を張って立ち入りを禁じた場所があちこちにあります。(2013年3月25日撮影)

復活したはまなす亭
それだけ水産資源が豊富というわけなのです。種市海浜公園にあった食堂「はまなす亭」も津波で流されましたが、堤防の内側にて仮設店舗の営業を開始していました。(2013年3月25日撮影)

はまなす亭のメニュー
洋野町の特産は、ほや(海鞘)です。独特の風味が苦手な人もいますが、海のパイナップルともいわれ栄養価も豊富!ぜひ北三陸まで、海鞘を食べにいらしてください。(2013年3月25日撮影)
カテゴリ :震災関連記事 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

震災2年後のいま―久慈市

 2013-04-10
野田村を北上すると、NHK朝の連続テレビドラマ小説「あまちゃん」で有名な久慈市(くじし)です。

小袖漁港
久慈市の小袖(こそで)漁港です。ドラマのロケで今やおなじみの場所は漁船がひしめいていました。伊勢二見ケ浦の夫婦岩のように、岩に綱が渡される神域でもあります。(2013年3月25撮影)

小袖漁港内の鳥居
ドラマでもしばしば登場する鳥居は、最近になって塗り替えられたようで、鮮やかな朱色です。この小袖漁港は、ドラマでは「袖が浜」という架空の名前で登場しています。(2013年3月25日撮影)

小袖漁港内の津波記念碑
この漁港にも、こんな津波記念碑が新しく建てられていました。震災から2年経って、おそらく沿岸各地には、かなりの数の石碑が新たに建てられたものと察せられます。(2013年3月25日撮影)

小袖海岸の海女さん
震災後4か月余り経ったころの小袖漁港です。ドラマ「あまちゃん」では南部もぐりのシーンが出てきますが、小袖の海女センターでは、観光客向けの海女実演をしてくれます。(2011年7月30日撮影)

茎ワカメの湯通し作業
この日はちょうど早春の風物詩、ワカメの湯通し作業をしていました。被災地沿岸漁業の頼み綱は、まず春のワカメ、そして季節を追って、シラス、カキ、ホタテ、アワビです。(2013年3月25日撮影)
カテゴリ :震災関連記事 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

震災2年後のいま―野田村

 2013-04-09
普代村を北上すると、野田村があります。岩手内陸に塩を運ぶ「塩の道」の起点として有名です。

十府ケ浦海岸
野田村の自慢は、十府ケ浦(とふがうら)海岸。三陸では珍しい、全長3キロ余り続く長大な砂浜です。震災から2年経って、少しずつですが、浜が美しくなってきました。(2013年3月25日撮影)

震災4か月後の十府ケ浦海岸
これは、震災約4か月後の十府ケ浦海岸です。砂浜にテトラが散乱したままで、初夏にはハマエンドウやハマナスが咲き乱れるはずの海岸が、このように無残な状況でした。(2011年7月30日撮影)

十府ケ浦食堂の看板
仮設食堂の看板です。海岸にあった十府ケ浦食堂も津波で流失し、内陸部に移転を余儀なくされました。三陸北部沿岸の中で、野田村はもっとも被害の大きいところでした。(2013年3月25日撮影)

野田村の復旧工事
十府ケ浦海岸に延びる堤防は、大部分が津波で壊れましたが、現在は復旧作業が行われています。手前にある鉄路は、震災後いち早く開通した三陸鉄道北リアス線です。(2013年3月25日撮影)

野田村のテトラ製造現場
テトラは現地で製造しています。赤い型にセメントを流し込んで固める作業は、今回の沿岸取材中、あちこちで見かけました。表示によると、1基25トンの重さだそうです。(2013年3月25日撮影)

カテゴリ :震災関連記事 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

震災2年後のいま―普代村

 2013-04-08
田野畑村からさらに北上すると、もう一つ、普代村(ふだいむら)という小さな村があります。

普代の防潮水門
普代にも立派な防潮水門がありましたが、ここでは水門が役立って、少し内陸にあった市街地の浸水は免れました。この水門の外では、大木がこのようにへし折られました。(2013年3月20日撮影)

防潮水門内側の松林
水門の内側にまで波は入り、松林もこのように傷だらけです。しかし、倒れるには至らず、見た限り、水門のおかげで比較的津波のパワーがそがれたような印象を受けます。(2013年3月20日撮影)

大田名部漁港の集荷場
普代村の大田名部(おおたなぶ)漁港の集荷場には、活気が戻っているようでした。頻繁にトラックが出入りして作業が行われていましたが、働く人たちのエネルギー源は・・・。(2013年3月20日撮影)

大田名部漁港の食堂
食堂です。仮設小屋としての営業です。作業で冷えた体を温めてくれる磯ラーメン。今回は賞味できませんでしたが、次回ぜひ立ち寄って味わってみたいと思います。(2013年3月20日撮影)

大田名部漁港のにぎわい
小さな大田名部漁港に、これだけの漁船がひしめき合っています。漁師さんたちの威勢のよい言葉があちこち飛び交っています。音がある風景って、やっぱりいいですね。(2013年3月20日撮影)
カテゴリ :震災関連記事 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

震災2年後のいま―田野畑村(その3)

 2013-04-07
田野畑村の北部に明戸(あけと)地区があり、ここにも震災で残った「奇跡の松」がありました。

枯死した明戸の夫婦松
この2本の松は、いつしか「夫婦松」と呼ばれるようになりました。しかし、2年ぶりに訪れてみると、片方は折れたのか、伐採されたのか、上半分がなくなっていました。(2013年3月20日撮影)

破壊された明戸の防潮堤
明戸の防潮堤は、震災後と変わらず、いまだ撤去されぬままです。かつては松林の中に風情あるキャンプ場がありましたが、何もかも、すべて流されてしまいました。(2013年3月20日撮影)

机浜の番屋復旧工事
明戸から少し北上すると、机浜(つくえはま)です。かつて漁師たちが作業に使った番屋群があって、観光にも一役買っていましたが、被災し、復原作業が行われています。(2013年3月20日撮影)

机浜の井戸
その一角には、昔漁師たちが使用していた井戸も復原されています。ここでは、漁業と観光が一体化し、「番屋エコ・ツーリズム」という言葉が生まれています。(2013年3月20日撮影)

震災前の机浜番屋群
これが震災前の机浜番屋群です。山がちな渓谷の地形に青空が見え、振り返れば、青い海に潮が騒ぐ楽園です。近い将来、この風景が見られる日が来ることを祈ります。(2009年3月26日撮影)
カテゴリ :震災関連記事 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

震災2年後のいま―田野畑村(その2)

 2013-04-06
田野畑村を含む北三陸一帯には、ドンコと呼ばれる魚がいて、独特の食文化を担っています。

本家旅館のどんこ汁
ドンコ(標準和名=エゾイソアイナメ)の身は淡泊で、濃厚な味わいのキモが特徴です。これはドンコ汁といい、同村の平井賀にある「本家(ほんけ)旅館」の看板料理です。(2013年3月19日撮影)

津波で残った本家旅館
田野畑村の平井賀(ひらいが)地区。津波は海から少し離れたこの高台まで押し寄せ、手前の住宅を破壊し、旅館の石垣に高波が当たって砕けるも、跳ね返し、助かりました。(2013年3月20日撮影)

本家旅館の玄関
津波以前から、撮影の際にお世話になってきた宿です。古くから三好達治や深田久弥など、文人に愛された宿。それは、亡きご主人が文学好きだったこともあるようです。(2013年3月20日撮影)

本家旅館の下駄
奇跡的に残ったこの宿は、不定期ながら営業中。オフシーズンでしたが、なんとか泊めていただけました。玄関先にならぶ端正な下駄に、この宿の歩んできた歴史を感じます。(2013年3月20日撮影)

本家旅館の賢治詩碑
かつて宿のご主人が建立した宮沢賢治詩碑。津波で翻弄され、傷を受けながらも、奇跡的にガレキの中から見つかり、旅館の宿に安置中。将来、碑を再設置するそうです。(2013年3月20日撮影)
カテゴリ :震災関連記事 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

震災2年後のいま―田野畑村(その1)

 2013-04-05
有名な観光地、北山崎を擁する田野畑(たのはた)村も、海辺の集落は大被害を受けました。

島越漁港
海岸段丘のところどころに漁村集落があります。その一つ、島越(しまのこし)漁港は比較的小規模なため、漁港周辺の工事はかなり進んでいる印象を受けました。(2013年3月20日撮影)

三鉄の復旧工事
三陸鉄道北リアス線の不通区間(田野畑ー小本間)も工事が急ピッチ。三鉄はほとんどの区間が山中のトンネルを利用するので、トンネル外の浜のみが被災箇所です。(2013年3月20日撮影)

田野畑駅の駅舎
現時点で開通している区間の終点、田野畑駅の駅舎はなんともオシャレなデザインに!駅ごとにエスペラント語の愛称がついており、当駅はカンパネルラの愛称です。(2013年3月20日撮影)

田野畑駅の応援メッセージ
もう1ヶ月すると、三陸にも遅い春がやってきます。田野畑駅舎の壁面には、桜のイラストとともに、寄せられた応援メッセージがびっしりと書きこまれていました。(2013年3月20日撮影)

再開したホテル羅賀荘
三陸随一の景勝地、北山崎の断崖や、サッパ船によるアドベンチャーなど、そんな復興ツーリズムを支えるのがホテル羅賀荘。4階部分まで浸水しましたが、復帰しました。(2013年3月20日撮影)
カテゴリ :震災関連記事 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

震災2年後のいま―岩泉町小本地区

 2013-04-04
内陸部に広大な面積を持つ岩泉町(いわいずみちょう)。そのほんの一部が三陸に突き出ています。

小本の防潮水門
小本(おもと)川河口に広がる小本地区。震災後も、あまりマス・メディアで報道されない場所です。こんな巨大な防潮水門があったにもかかわわらず、大被害が出ました。(2013年3月19日撮影)

小本の被災状況
小本川右岸の被害状況です。右側の水門から延びる防潮堤も相当な高さがあったにもかかわらず、このような悲惨な状況です。この左方にはガレキ処理場があります。(2013年3月19日撮影)

小本港内のガレキ処理現場
そのガレキ処理場です。ガレキの盗難などという言葉は、今回の被災地で初めて目にして驚きました。それにもまして、84億円という巨額な事業費用にも驚愕です。(2013年3月19日撮影)

小本港内の津波浸水地
反対側の右岸にあった住宅も流されてしまい、その跡地には仮設の作業小屋などがあるのみです。被災面積は小さいものの、ここも大変な被害があったというべきでしょう。(2013年3月19日撮影)

小本の防潮水門の碑
防潮水門の横に建てられていた石碑には、「波を鎮め、郷を護る」とあります。しかし、それはかないませんでした。津波を被って枯死した傍らの松が、それを語っています。(2013年3月19日撮影)
カテゴリ :震災関連記事 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

震災2年後のいま―宮古市田老地区(その2)

 2013-04-03
現在、被災地で目に見える形で進む2つの変化は、ここ田老でも同じく、港湾と漁業でした。

田老のテトラと漁船
それを象徴する光景です。昭和、明治の大津波の時も、人々はどういう道筋で町を復興させていったのでしょうか。ハイテクが進んだ現代でも、過去にならう必要があります。(2013年3月19日撮影)

田老の新設の漁業施設
防潮堤の海側に漁業施設が完成しました。作業施設はよくても、居住施設は建てられません。田老の地形からいって、ここしか平地はないので、居住地の確保は困難です。(2013年3月19日撮影)

被災したたろう観光ホテル
被災地した「たろう観光ホテル」はいまだに解体されぬまま。そのそばで、かつて民宿を経営されていた「丸仙」さんが、ここでの再開は無理と判断し、宮古市内に移転しました。(2013年3月19日撮影)

鮨 丸仙ののれん
私もお世話になった宿です。ご夫婦は無事で、もともとご主人は寿司を握っておられたので、「鮨 丸仙」として開店。もう田老へは戻らず、宮古市内で仕事を続けるそうです。(2013年3月15日撮影)

鮨 丸仙の大名にぎり
生活と仕事を早急にとなると、今の被災地では、町を出るしかないのです。久しぶりの再会を祝し、民宿時代の思い出話に花が咲きました。三陸のお寿司は、最高の味でした。(2013年3月15日撮影)


カテゴリ :震災関連記事 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

震災2年後のいま―宮古市田老地区(その1)

 2013-04-02
宮古市を北上すると田老地区があります。「万里の長城」と称される巨大防潮堤のある町です。

田老の国道の津波標識(1)
北の田老(たろう)、南の綾里(りょうり)といって、岩手・三陸沿岸のこの2つの地名は、昔から地理の教科書に登場し、いずれも津波被害が大きい場所として知られていました。(2013年3月19日撮影)

田老の国道の津波標識(2)
今回の津波の後、浸水区間を詳しく示した標識が設置されました。昔は tidal wave と呼んでいた津波の英語名を、今や世界共通語となった tsunami と改めています。(2013年3月19日撮影)

田老の防潮堤(内側)
防潮堤の左側が海、右側が町です。津波はこんな立派な防潮堤を簡単に乗り越えました。一説によると、防潮堤を過信して逃げなかった町民も多いといわれています。(2013年3月19日撮影)

壊れた田老の防潮堤
撤去されず残骸が残る防潮堤の周囲で、港湾工事が始まっていました。肝心の街づくりは進んでおらず、少し離れた旧宿泊施設のある高台に、仮設住宅があるのみです。(2013年3月19日撮影)

田老の工事表示
今行われている工事も、結局は「復旧」なのです。インフラの「復旧」から町の「復興」へは、途方もなく時間がかかることです。施策の発想を変えるしかないと思えてきます。(2013年3月19日撮影)
カテゴリ :震災関連記事 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

マンサクの花

 2013-04-01
今日から4月。西南日本では桜も満開のようですが、岩手はやっと雪が消えてきた程度です。

マンサクの花
それでも、一歩ずつ春に近づいています。白一色の冬に、春いちばんの明るい色をもたらすマンサクの花。「まず咲く」からマンサクとも。被災地にも春が来ますように。(2013年3月17日撮影)

凍てつくマンサク
そのマンサクも、2月下旬ごろまでは霧氷が枝に付着して、このように寒々しい様子でした。季節は巡りくるというのに、被災地の暦は止まったままのように感じます。(2013年2月26日撮影)

赤いマンサク
こちらは珍しい赤いマンサクの花。今年は花の付きが悪いようで、この花を含めて、一本の木に咲いたのは5輪のみでした。マンサクの花が散るころ、福寿草が開花します。(2013年3月12日撮影)
カテゴリ :岩手の風景 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫