震災2年後のいま―宮古市田老地区(その2)

 2013-04-03
現在、被災地で目に見える形で進む2つの変化は、ここ田老でも同じく、港湾と漁業でした。

田老のテトラと漁船
それを象徴する光景です。昭和、明治の大津波の時も、人々はどういう道筋で町を復興させていったのでしょうか。ハイテクが進んだ現代でも、過去にならう必要があります。(2013年3月19日撮影)

田老の新設の漁業施設
防潮堤の海側に漁業施設が完成しました。作業施設はよくても、居住施設は建てられません。田老の地形からいって、ここしか平地はないので、居住地の確保は困難です。(2013年3月19日撮影)

被災したたろう観光ホテル
被災地した「たろう観光ホテル」はいまだに解体されぬまま。そのそばで、かつて民宿を経営されていた「丸仙」さんが、ここでの再開は無理と判断し、宮古市内に移転しました。(2013年3月19日撮影)

鮨 丸仙ののれん
私もお世話になった宿です。ご夫婦は無事で、もともとご主人は寿司を握っておられたので、「鮨 丸仙」として開店。もう田老へは戻らず、宮古市内で仕事を続けるそうです。(2013年3月15日撮影)

鮨 丸仙の大名にぎり
生活と仕事を早急にとなると、今の被災地では、町を出るしかないのです。久しぶりの再会を祝し、民宿時代の思い出話に花が咲きました。三陸のお寿司は、最高の味でした。(2013年3月15日撮影)


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